稚内市往訪について

筆者(東京稚内会広報担当幹事)は、2018年11月23日~26日まで稚内調査のために稚内往訪予定です。筆者の友人に増幌、沼川、曲淵、知来別等既に廃線となった旧JR天北線沿線出身者が多かったにもかかわらず、それらの地域がどのような場所なのか、どのように生活していたのか全く知らないことから、今回は、それらの地域を探訪してみたい。
探訪に当たり事前勉強をしようと「稚内市史」を借りて読んだところ、明治40年頃の沼川周辺の様子を伝える以下の内容など、開拓時代の苦労は今の時代から見ると想像もできないものである。「・・・稚内町距るところ七里、声問市街距たること五里にして、当時26戸入りしも、移住当時のことなれば、一家の生活は見るも忍びざるものあり。甚だしきは蕗を塩にて食し、ようやく生命を保てるものもあり。斯の如き現状なれば、声問より米・味噌運搬するも唯一人の背にて、一斗か一斗五升負いて、二日がかりようやく帰るの有様、歩むも数丈の笹・草を分け途中雨に遭いたる場合頭よりぬれ、道路は旧土人のキバ(しるし)を附したるを道標として歩きたり。斯の如き有様なれば、猛獣熊等に遭遇するもの多く、その惨状例えるものなきなり。また隣家に通ずる道路さえ数丈の笹を押し分ける位なりき」(上声問特別教授場の沿革史)(稚内市史1057頁)

さすがに今は隣家に行くのに、熊笹を押し分けることはなく快適な旅となるだろう。むしろおいしいものをいただくのが楽しみであり、最低以下の場所には行きたいと考え現在プランを練っているところである。

【旧天北線沿線の旅】増幌→沼川(食堂サングリーン)→曲淵→小石→鬼士別→芦野→知来別(パン屋カシェ)

【稚内での食事】大王の焼きそば(40年ぶり)、青い鳥のラーメン(まだ食べたことがない)

【その他】稚内北星学園大学、各漁協(漁業の現状、水産物の現状等)

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